2005-07-04
_ 朝
0640 起床。
眠い。
昨晩は珍しく日付が変わる前( 2005-07-03 23:30 ころ )に寝たのだけど、むしろ普段よりも睡眠時間が長くなり睡眠周期( 睡眠は 1.5h 周期とかなんとかいう話があったようななかったような )がイイ感じにならなかったので眠いのだろうかなどと起床前に考えていたり。
_ 仕事
0810 へいしゃー。
東急田園都市線 二子新地駅の工事は清水建設だけど、同線 高津駅の工事は東急だった。
工事の入札は駅ごとにおこなわれるようだ。
そういえば以前東急建設のなかのひと\がそのようなことを言っていたような気がする。
_ 通信中毒症
先日友人 O との会話で以下のようなことを訊かれた。
O 「 どして自宅にあるすべての計算機をネットワークに繋げるのか 」
私の周りには計算機オタクが多い。周りの友人たちに比べればたいしたことはないが私も多少は計算機オタクである。自分も周囲の友人たちも計算機オタクが居るような状況だと「 計算機はネットワークに常時繋がっているもの 」と認識してしまう。しかし友人 O は私のように計算機オタクではない。友人 O からしてみればなぜ必須でもないのに計算機をネットワークに繋げるのか理解できなかったという。そして私は「 計算機はネットワークに繋がっているもの 」と考えていた。何故計算機をネットワークに繋げるのかと考えたことがなかった。この質問にたいして回答を用意していなかったのである。
困った私は突発的に以下のように返答した。
ヲ「 マロリー病だから 」
マロリー病とは 高林哲さん が言っていた言葉である。
以下引用。
「そこに機能があるから」という理由で機能を闇雲に使ってしまうというこの衝動は、「そこに山があるから」という理由でエベレストに登った登山家の George Leigh Mallory氏にちなんで「マロリー病」と呼ばれている。
今回のことに適用すると「 そこに計算機とネットワークがあるからネットワークに繋げる 」ということになる。これがマロリー病である。
これが重症になると必要もないのに常時ネットワークに繋がっていないと不安になるようになる。
UNIX MAGAZINE 2005-06 連載「 UNIX Communication Notes 」では 山口英さん が以下のように書いている。
以下引用。
先日、友人たち 4 人と 1 泊 2 日のゴルフ旅行に出かけ、ゴルフ場内のロッジに宿泊した。そのなかの 2 人( 1 人は私である )はラップトップ PC を持参し、プレー後にロッジからインターネットに接続し、一所懸命にメールをチェックしたりしていた。 1 泊 2 日でゴルフをするくらいだから、とくに急に要するような仕事を抱えていたわけではない。しかし、やはりメールくらいはチェックしておかなければと思い、ついついラップトップ PC に手がいくのである。
せっかく遊んでいるのに計算機なぞ持ち歩くなよ というお話である。
さらにいまではラップトップ PC でなくてもケータイを用いればメールチェックのみならず、IRC や web 巡回もできるようになった。
まさにどこでもネットワークである。
- 計算機はソフトウェアが無ければただの箱
- 計算機はネットワークに繋がっていなければただの箱
このように言われて久しいが、ネットワークに繋がっていない計算機があってもいいのではないか。データセンターとかにはありそうだけど。
ネットワークに繋がっていない時間があってもいいのではないか。
_ オフライン作業
そもそもなぜ上記のようなことを考えたかというと、その前に以下のような話題があったからである。
ヲ「 計算機の前に座ると IRC してしまう 」
最近は暇なときに本を読んで勉強しているのだけど本を読んでいるだけではどうしても眠くなってしまうので計算機と戯( たわむ )れて眠気を覚まそうとする。しかし計算機の前に座るとどうしても IRC してしまう。
ということを友人 O と会話していたら
友人 O 「 そもそもどうして計算機をネットワークに繋げるのか 」
という上記のような話題になったのであった。
ここで再度 UNIX MAGAZINE 2005-06 連載 「 UNIX Communication Notes 」から引用しよう。
かつて、大学の研究室で指導教官や上級生たちに次のように教えられた。
- よい仕事をするには、その仕事のことを徹底して考える時間をできるだけ連続して長く確保すべきである。
( 中略 )
こんな私であるが、最近は次のようなことを自分に課している。
- 通信を切断し、物事を考える時間を積極的に作る( とくに、コンピュータを使わずに考える時間をとる )。
たとえば、あらためて紙とペンを使って論点を整理したり、ドキュメントは紙に印刷して読むなど、深く長く考える時間を確保するように努める。
- とくに必要がなければ、ラップトップ PC や携帯電話などの通信道具は持ち歩かない。
持っていれば、ついつい使ってしまう。さすがに携帯電話を置いて外出することはできないが、ふだんは鞄に入れておき、必要なときだけ取り出して利用するようにしている。
私も仕事場では携帯電話は鞄に入れている。まあそのおかげで携帯電話にメールが届いていてもそれに気づくのが退勤後だったりするのだけど。
ようするに、私は何か作業をするときは IRC クライアントを起動させておかなければいいわけである。
_ シンプルに考える
( 結城浩さん )
結城浩さんがタイムリーな話題を書かれていた。
以下引用。
ところでシンプルに暮らす、シンプルに考えるためには、「テレビを見ない」というのがとても大切だと思うのですが、みなさんはいかがでしょう。私はこの20年以上、テレビを見ない生活をしています。といっても別にそれほど厳格に見ないわけではなく、「テレビを日常的に見る習慣がない」ということですけれど。私の知り合いにもテレビを見ない人がたくさんいますね。
さきほど日記に書いたように通信を遮断するという手もある。
また、Donald E. Knuth は作業に集中するために 1975 から電子メールを使用していないという( 2004-09-22 )。
以下引用。
I have been a happy man ever since January 1, 1990, when I no longer had an email address. I'd used email since about 1975, and it seems to me that 15 years of email is plenty for one lifetime.
シンプルに考えるためには自分ひとりが長時間集中できる環境を作る。長時間でなくてもいいかもしれないけど。